大人が「学び」を語りにくい理由

大人の音楽とピアノ

今回は、ピアノを習っていることを、
職場や友人にあえて言わないという、
ちょっとしたモヤモヤについて書いてみようと思います。

そこから見えてくる、ピアノに限らない
大人が「学び」を語りにくい理由について、少し考えてみました。

なぜ、習っていることをあまり人に言わないのか

家族に話すのはまだしも、職場や友人にはなぜか言っていない。

そんな人、
意外と多いのではないでしょうか。

そう思ったきっかけは、前にこの記事にも書いた本にあったエピソードでした。


ヤクザときどきピアノ 増補版 (ちくま文庫す-35-1)

著者がSNSで「ピアノを習っている」
と投稿したところ、

  • どの先生に習っているの?
  • どのくらいのレベル?
  • その練習方法って正しいの?

といった、少し
上から目線に感じられるコメント
来たそうです。

マウントとまでは言わないけれど、

ただ楽しんでいるだけなのに、評価される側に立たされてしまう感じ・・」

これ、社会生活を過ごしていると、
まあまあ、あるあるですよね😅

だからこそ、
「わざわざ言わなくてもいいか・・」

そんな気分になってしまいますよね。

さらに、最近読んだ別の記事では、

日本人はピアノに限らず、
仕事以外で何かを学んでいることを人に言わない人がとても多い
ということが書いてありました。

せっかく学んでいるのに、それを周囲に伝えないまま隠そうとする傾向=学びの秘匿化」が見られるというわけです。

ビジネスパーソンが“学び”を続けられないのはなぜか?~書籍『学びをやめない生き方入門』から考える
「学びをやめない大人ほど幸せである」――これは、立教大学・中原淳教授、パーソル総合研究所、ベネッセ教育総合研究所の共同研究(ビジネスパーソン9600名への調査など)で得られた仮説だ。同調査では、「勤務先以外での学習や自己啓発を何も行っていな...

「ある程度できないと、言っちゃいけない」空気

こういう背景には、

ある程度のレベルに行かないと、人に言ってはいけない気がする」

という心理がある気がします。

もちろん、そんな決まりはありませんよね。でも社会人になると、

  • 中途半端な状態で話すのは違う気がする・・
  • 結果が出てから言うもの
  • 本気なら、それなりにやってから

そんな社会の暗黙のルールのような空気を、いつの間にか感じ取っているような気がします。

詳しい人が身近にいると、言いづらくなる

もう一つ大きいのが、周りにその分野に詳しい人がいるケースです。

特に、その人がちょっとデリカシーに欠けていると、

  • それより、こうした方がいいかも
  • そのやり方は効率悪い
  • ちゃんとやるなら、こうしないと

といった、求めていないアドバイスや評価が飛んでくることもあります。

もちろん、悪気がなくて言っていると思います。

それもわかるんだけど、
「楽しんでいるだけ」の立場からすると、
正直ちょっと疲れてしまう・・💦

私が、社会に出て戸惑ったこと

別のお話もしたいと思います。

私は、学生時代は、音楽を学ぶ環境にいました。

でも社会人になって一般企業に入ると、
周りのほとんどの人は、当たり前ですが
音楽を専門にしていません。

多くの人と同じく、社会に出て、
ときどき飲み会など参加することがあり、
その場で音楽の話題になると、

「それって知ってるの?」
「あの曲はどうなの?」
「○○については、どういう立場なの?」

と、まるで試されるような質問
受けたことがありました。

当時の私はまだ若く・・😅、
社会経験もコミュニケーションの引き出しも少なかったので、
「世の中には、こんなふうに少し上から話す人がいるんだ…」
と、かなり戸惑ったことを覚えています。

今はそこから年月も経ち、
空気を読んで、あえて言わないというスイッチを無意識に入れるようになりました。

なので私も、
「周囲に伝えないまま、そっと隠そうとする傾向」が十分にあります(笑)

それは、隠しているというより、
「聞かれなければ言わない」
「聞かれても広げない」
という、静かな運用ルールが自分の中にある感じです。

もちろん、これは状況によります。

そして、そういう判断ができるようになったのは、それなりに社会生活を重ねてきたからかもしれません🙂。

話題になっても、深く踏み込まない。
説明もしない。
評価の土俵には、そっと上がらない。

それは逃げではなく、
心の治安を守るための、ささやかな工夫です🙈

それでも、学ぶこと・伝えることは悪くない

そんな私ですが、
一方で、こうも思います。

ピアノを学ぶこと自体は、
そして、それを人に伝えることも、
本来はとても良いことだと。

学んでいる人がいるというだけで、
その場の空気が少し柔らいだり、
誰かが「またやってみようかな」と思ったりするかもしれない。

誰かからの言葉も、
その場ではピンとこないことがあります。
「今の自分には関係ないかな」と思うことも。

でもそれは、あくまでその時点での話。
あとになって、別の場面で、
ふと役に立つこともあるのかもしれません。

いつ、どこで、どうつながるかは、
本当に分からないものですよね。

経験や知識は、
思いがけないタイミングで、
別の形でつながることがあります。

なので、伝えた側にも、聞いた側にも、
気づかないうちに残るもの何かがあって、
そうした小さな積み重ねが、
気がついたら人生を少し豊かにしていることも、きっとあるんじゃないかな、と思っています。

結論:言える人は、さらっと言えばいい

だから私の結論は、とてもシンプルです。

言える余裕がある人、
さらっと言いたい人は、
言った方がいいんじゃないかな
思っています😊

一方で、言わない選択も、もちろん正解です。
評価の土俵に乗らず、自分のペースで楽しむことも、大人の知恵。

結局のところ、
「言うべきか、言わないべきか」ではなく、その時の自分にとって、どちらが心地よいか。

その基準で良いと思うのです。

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