伝わる言葉って何だろう?音楽理論と選挙の言葉を通して考えたこと

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はじめまして、すみれです。
都内で働く社会人ですが、音大卒で今も音楽をゆるく楽しんでいます。
このブログは「音楽×感性×働く大人」がテーマですが、ピアノ初心者さんや音楽を楽しみたいすべての方に向けて綴っています。
忙しい毎日でも、音楽とつながる小さなきっかけを一緒に見つけていけたら嬉しいです♪

参議院選挙がこの週末ということで、ここ最近はこのテーマでの話題がテレビやネットでたくさん流れていますね。
候補者はもちろん、その他関係者による、「これを実現します」「あれを変えます」
といった言葉をよく耳にします。

でも、私はなかなかいい歳の大人なので、そうした言葉をそのまま受け入れることは難しい・・😒。

どこか懐疑的な気持ちにもなり、
「なんでそんなふうに思えるのか?」
「どんな背景があってそれを言っているのか?」
と思ってしまいます。


具体的にそれは、「なぜなんだろう」と考えたとき、
いろいろな情報に何回も接しているうちに、
少しずつ“わかるようになってくること”があると感じました。

同じ「これ実現します」という言葉でも――
場の勢いだけで言っているように見える言葉と、
現実の難しさもわかった上で発せられた言葉とでは、伝わってくるものが違う気がします。

少なくとも私は、「その背景が見える言葉」に、より信頼を寄せたい。


そんなことを思いながら、日課の音楽理論の勉強に取りかかりました。
するとふと、「これ、音楽理論にも通じる話かも・・」と思う瞬間がありました。

思い出したのは、以前ネットで見かけた「音楽理論なんて必要ない」という意見でした。
よくある“白か黒か”のディスカッションで、結局のところ「答えは人それぞれ」なんだろうと思います。

でも、その上で私は、こう感じました。

たとえば、同じメロディを作ったとしても、それが理論を理解した上で作られたのか、何も知らずに偶然できたものなのかでは、その“深さ”や“再現性”が違ってくると思います。

理論を知っているからこそ選べる道もあり、逆に知らないからこその偶然性もあるけれど、
「知ったうえで選ぶ」方が、“深み”が違うのでは・・と。

確かに、偶然のひらめきには特別な力があります。
でもその“偶然”だって、日々の知識や経験の積み重ねがあってこそ生まれるものだと思います。

理論を学ぶって、自分の中にある“積み重ね”を、確認することなんだと思います。

なので私は、「知った上で選べる自由」の方に、より信頼を感じます。


あなたは、どう感じますか?

そして・・、あなたは、どう感じますか?

何かを「信じられる」と思うとき、そこにはどんな背景があるでしょうか?

朝の支度をしながら流れていたニュース、
スマホで何気なく見かけたSNSの投稿、ふと開いた本の一文。
どれも「言葉」だったけれど、それが軽く聞こえるときと、そうと思わない時がある。

その違いは、「その言葉の奥に何があるか」を、私たちがどこかで感じ取っているからなのかもしれません。

音楽の世界でも、日常の中でも、
言葉の裏にあるものに、私たちは案外敏感なのかもしれませんね。


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