このブログは「音楽×感性×働く大人」をテーマにしていますが、
ピアノ初心者の方や、音楽を楽しみたいすべての方に向けて綴っています。
書き手は、音大卒・企業勤めをしながら音楽の学びを続ける、すみれです。

大人になって、またピアノを弾いてみたいと思ったけど…
「子どもの頃にピアノを習っていた」
「またやってみたいけど、なぜか踏み出せない」
そんなふうに感じているピアノ再開組の方、実はとても多いんです。
検索でも「大人 ピアノ 再開」「ピアノ 習い直し」「ピアノ また始めたい」などのキーワードが増えている今、
この記事では、ピアノにまつわる過去のつらい記憶を持ちながらも、もう一度弾いてみたい気持ちを持つあなたに向けて書いています。
ピアノ再開って、実はすごく心理的ハードルが高い
私の周りにも、「小さい頃ピアノを習っていた」「学生時代までやっていた」という人がたくさんいます。
でも、受験や就職などでやめてしまって、もう何年も弾いていないという方も少なくありません。
そして最近、「またピアノをやってみたい」と思う瞬間がふと訪れる。
でも、そこから先になかなか踏み出せない理由があるんです。
「初心者じゃない」からこその心のブレーキ
「前に少しやっていたからこそ」湧いてくる不安
ピアノを再開しようとするとき、
「ちょっと習ってたし、基礎は知ってる。でも…」という気持ちが、むしろ大きなハードルになることがあります。
なぜなら、そこには過去の記憶が強く残っているからです。
- 怖かった先生
- 親に無理やり習わされた
- 練習していなくて叱られた
- 自分の意志ではなかった
特に昔は「厳しい先生」が多く、怒られたり比較されたりした経験を持つ方も多いですよね。
そんなつらい経験が、今でも心の奥に残っていて、再開しようと思ってもブレーキをかけてしまうんです。
ちょっと話がそれるけど、私のエピソード
体育がつらかった子ども時代
実は私自身、ピアノとは別のことで似たような経験があります。
私は典型的な「運動ができない子ども」でした。
小中学校の体育の時間がとにかくつらくて、坂上がりもできないし、50mも遅い。
マラソン大会では後ろから数えた方が早いくらいで、本当に苦痛でした。
でも体育は義務なので、やるしかない。
そんなふうに、運動にまつわるいい記憶がほとんどないまま大人になりました。
大人になって出会った「予想外の上書き」
社会人になってから、会社でジョギングクラブができました。
最初はもちろん無理だと思っていたけど、かわいいウェアや靴に惹かれ(笑)、
しかも「歩いてもOK」で飲み会もあるということで参加してみたんです。
当然、全然走れませんでしたが、終わった時は不思議な充実感を感じました。
また、私はこの時、まったく意識していなかったのに、
なぜか子どもの頃の運動へのつらい記憶が少し上書きされたような気がしました。
ピアノ再開も、きっと同じことが起きる
ピアノも同じじゃないかな、と思います。
子供の頃のの苦い記憶は、なかなか消えません。
でも、今の自分が少し動いてみることで、
その記憶が「優しい体験」に塗り替わることもあるんです。
うまく弾けなくて良くて、でも子供の頃と比較して、「割と楽しめるかも」「悪くないな」
「気持ちいい」と感じられたら、それで十分なのではないでしょうか。
やってみることそのものが、実は一番楽しい
私が一番伝えたいのは、結果よりも「やってみること」が人生を豊かにするということです。
ジョギングだって、走れなかったけど楽しかったし、悪くなかった。
やってみたからこそ、「自分でも動けるんだ」と思えました。
ピアノも、結果はどうでもいいんです。
(でも、結果というかそれなりの、期待を求める気持ちもわかります。)
やってみた時間そのものが、案外楽しくて、充実感がある。
それだけで、もうやってみる価値はあると思っています。
子どもの頃の私へ
ちょっとセンチメンタルなことを言うと、
子どもの頃の私は体育に関しては、本当にしんどかったよね、と思います。
でも、大人になってちょっとだけ「楽しいかも」と思えるようになった。
子どもの私、よく頑張ったよ。ほんとに。
そう思える今の自分に、少し救われています。
おわりに|「ピアノをまたやってみたい」がすでに第一歩
「ピアノを再開したいけど怖い」
「うまく弾けないかもしれない」
そう思っている方へ。
その気持ちがある時点で、あなたはもう一歩踏み出しています。
怖くても、下手でも、途中でやめたっていい。
でも、始めてみたら、その先に“自分だけの楽しさ”があるかもしれません。