大人がピアノを習う理由って?うまく弾けなくても、そこにある豊かさの話

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はじめに

このブログは「音楽×感性×働く大人」をテーマにしていますが、
ピアノ初心者の方や、音楽を楽しみたいすべての方に向けて綴っています。
書き手は、音大卒・企業勤めをしながら音楽の学びを続ける、すみれです。

大人になってからピアノを再開したりするとこんな声をよく耳にします。

「別にピアニストになるわけじゃないし、楽しめばいいんですよね」
「老後の趣味になればいいなと思って…」

何となく、ちょっとした照れや謙遜からくる言葉をつい、そう言ってしまうこと、あると思います。

でも、これまでいろんな経験をしてきた大人だからこそ、
「上達したい」と素直に言うのが、ちょっと気恥ずかしかったりもします。

でもだからこそ──
大人がピアノをとき、“うまくなること”を一旦脇に置いて、
ピアノをやる“意味”を改めて考えてみることは、とても大切なテーマなのではないか
と、私は思うのです。


有名人がピアノを弾いて感動する理由って、なんだろう?
 プロにはない“何か”がある気がした話

テレビ番組などで、時折、有名人がゼロからピアノに挑戦する企画が放映されることがあります。
私が印象に残っているのは、ウッチャンナンチャンの内村光良さんが出演していたバラエティ番組の企画です。
その中で、彼は一からピアノに挑戦していました。

練習の様子も番組内で放送されていて、最初はまったく弾けない状態で、とても大変そうな表情をされていたのを今でも覚えています。
それでも、内村さんは懸命に練習を重ねて、多少のミスはあったかもしれませんが、
最終的には観客を前にして、一曲を弾きあげていました。

その姿に感動した方も多かったと思います。
(何年も経っているのに、私も今も覚えているくらいですから・・。)

今になって思うと、プロのピアニストでは与えられない、何か“人間的な温度”を感じ取って心が動かされたと思いました。


ピアノって、上手じゃなくても心に届くんだなって思った

プロの演奏は、確かに素晴らしくて圧倒されます。
音も表現も完璧で、聴いていて圧倒されるような感覚になります。

でも、一方で──
テレビなどで、有名人がピアノに挑戦している姿を見ると、
ちょっと不安そうだったり、ところどころ間違えたりしながらも、一生懸命に弾いている。

その姿を見て「私もこんなふうに頑張ってみたいな」とか、
「なんか、わかるなあ」と思ったことすごくありました。

きっと私たちは、音の上手さだけじゃなくて、
その人の中にある“本当の気持ち”に、どこかで反応しているのかもしれません。

ミスをしながらも一生懸命に向き合っている姿を見ると、
「私にも似てる」「私もこんなふうに頑張ってみたい」と思えます。

私たちは、音の完成度ではなく、自分の内側にある“正直な感情”にも反応して感動することができるのではないでしょうか?


大人になってからわかる、
ピアノを弾くことの“意味”のようなもの

ピアノを弾くことには、技術だけでは語れない豊かさがあります。

「必死に向き合う姿が、自分と重なる」
「音の裏側にある努力や不安が、自分にもあるから、共感できる」

不完全さにも心を動かす力があって、そんなところに人間らしさの面白さがあるのかもしれません。

また、その心の動きこそが、「音楽って、ピアノって素敵だな」
と思わせてくれる理由のひとつなのだと思います。

そして、これまでいろんな経験や時間を積み重ねてきた“大人”だからこそ、そこに“人の温度”や“物語”が感じられる。
その人の背景が、ピアノを弾くという行為に、より深い意味を与えることができると考えられるのではないでしょうか。


おわりに ピアノとの付き合い方に、正解なんてない

ピアノって、どうやって弾けばいいとか、どれくらい練習すべきとか、
そういう決まりみたいなものがあるように感じることもありますが─
本当は、人それぞれでいいんだと思います。

毎日少しずつ弾く人もいれば、
月に1回、「そういえば最近触ってなかったな」って思い出して弾く人もいる。
誰にも聴かせずにひっそり楽しむのもいいし、
「この曲、誰かに届けたいな」と思って弾くのもすてきです。
自分にとって、ピアノがどんな存在か。
それを大事にできたら、それで十分なんじゃないかなと思います。

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