音楽聴かない自分も大切にしよう

ピアノと暮らし


通勤中、なんとなくイヤホンをして音楽を流している──
そんな時間、よくあると思います。

私は、都内在住で、電車通勤をしていますが、電車の中で、多くの人がワイヤレスイヤホンをして、何か聞いている様子を毎日目の当たりにしています。

私も例外ではありません。

でも今回は、いつも通勤中にイヤホンで音楽を聴いている私が、旅先でふと音楽を聴かなくなった——。

その旅での「静けさとの出会い」と、そこから感じた小さな気づきについて書いてみたいと思います。

久しぶりの京都旅行、そして出発前の私

去年、東京から京都へ3泊の旅行に出かけました。
少し長めの国内旅行は久しぶりで、ワクワクしていた気持ちもあった反面、
出発前は正直、心身ともにかなり疲れていました。

仕事が忙しく、ストレスもたまり気味で、
いろんな予定が重なって「余裕ゼロ」の状態でした。
準備するのも何か億劫で、いっそこのまま行かないで、
家でダラダラしようか・・と思ったくらいでした。

でも、旅行をやめることはなく・・。

お金ももったいないし、せっかく決めたし・・と思いつつ
、私は京都へと向いました。

音楽を聴いてない自分に気づく

現金なもので、京都に着いたらついたで、なんとなく、気力が出てきて
旅行を楽しもうという気分になりました。

そして、旅が始まってしばらく時間が経った時、ふと気づいたことがありました。
「私、イヤホン使ってない」と。

普段は通勤電車に乗った瞬間、反射的にイヤホンを耳に入れて、
音楽を流して過ごすのが習慣になっていました。

でも、京都ではそれがまったくなかったんです。

別に「やめよう」と決めたわけでもないのに、
自然と音楽が必要なくなっていました。

これに気がついた時、自分でも少し驚きました。

もしかして、音楽は“守るため”だった?

そのとき、ふとこんなことを思いました。

もしかすると私は、音楽を“楽しむ”ために聴いていたんじゃなくて、
“何かから自分を守るため”に聴いていたんじゃないか。

通勤ラッシュの人混みや騒音、車内のざわつき、
暑さや寒さ、そして「これから仕事だ…」というプレッシャー。

そういった外からの刺激に触れないようにするために、
私はイヤホンで外の世界を閉じていたのかもしれません。

旅先では、耳がひらいていた

一方で、京都では不思議とそういう防御の耳が必要なかったんだと思います。

電車のガタンゴトンという音、駅のアナウンス、
街中を歩く足音や、風の音すらも、どこか心地よく感じられました。

今は「音楽でごまかさなくても大丈夫」な場所にいるんだな、
と自然に思いました。

日常にも“音の余白”を

この旅をきっかけに、私は音楽との付き合い方を少し見直しました。

これからは、もっと「純粋に音楽を楽しめる自分」でいたいし、
自分にやさしい時間を日常の中にもつくっていきたいなと思いました。

イヤホンを外したことで聞こえてきたのは、
普段気づいていない自分の本音でした。

静けさがくれた、やさしい気づき


音楽は私にとって必要なものですが、一方で自分を守るために音楽を聞いていた一面が
あったこと。

また、音に頼らない時間が、こんなにも穏やかだったこと。

そんなふうに気づかせてくれた旅に、ちょっと感謝しています。

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